私の「強み」「弱み」を経験から紹介

雑記

「ASDなそら」管理人のそらです。

ASD(自閉スペクトラム症)当事者の視点で、

仕事や生活に役立つ情報を発信しています!


この記事は「就労面接で困らない!強みと弱みの見つけ方」より、

私自身の「強み」「弱み」を、経験談を加えて紹介します。

「☆」がついているものは、

自分自身が重要だと感じているものになります.

今後新たな強み・弱みが判明次第、追記していきます。

私の強み

☆ 手先が器用

これは、就労移行支援事業所での実習体験中に気づいたことでした。

作業を担当する中で、

職員さんから、こう言われたのです。

仕上がりがとてもきれいですね

実は、それまでの人生で一度も指摘されたことがありませんでした。

褒められる経験自体が少なく、

どちらかといえば

「抜けている」「不器用」と言われることが多かったので、

この言葉は本当に驚きでした。


良い例として挙げられたのは、

製品の仕上がりの「丁寧さ」や「整い方」です。

私はそれを、特別なことだと思っていませんでした。

むしろ、慎重すぎて時間がかかることに引け目を感じていたほどです。

しかし、利用していた事業所で行っていた作業の中には、

実際に企業へ納品される製品の一部も含まれており、

「正確さ」や「丁寧さ」が何よりも求められていました。

その作業の説明を初めて受けた時から、

「これは慎重にやらないといけないな」と自然と意識するようになりました。

その意識は今も変わっていません。

「きれいに仕上げること」=「誰かに喜ばれること」だと知ったからです

この経験を通して、

私は自分の中にあった『強みの種』に気づくことができました。

それは単なる「慎重すぎる性格」ではなく、

「品質を守る力」だったのです。

丁寧に仕上げられる

これは先ほどの「手先が器用」という強みとも

深く繋がっています。

事業所での作業中や、別の実習先でも、

「完成品が丁寧でいいよね」と褒められる機会が何度かありました。

自分では特に意識せずにやっていたことだったので、正直驚きました。

エピソード
例1 〜 パソコンでの文書作成
  • 印刷後の見た目まで意識
  • 余白・行間、フォントのバランスを整えた

職員さんから「読みやすくて、すごく見栄えがいい」と
コメントをもらいました。

例2 〜 レゴブロックを使って動物を作る

完成したあと、自分なりにポージングや角度を調整して、
「生きているみたい」と言われました。


どれも「ただの作業」ではなく、

どこかに「美しく仕上げたい」という思いが自然と入っていたように思います。

それが結果として「見た目の良さ」に繋がり、

周囲から認められるポイントになっていたのです。

今思えば私は、

「きれいに整っている」「バランスが取れている」ものを見ると安心できるタイプで、

それが作業にも表れていたのだと感じます。

こうした何気ない場面から、

自分の特性や強みに気づけることもあるのだと、

身をもって知りました。

手順をしっかり理解できる

当たり前のことかもしれませんが、

社会や会社という場所では「ルールを守ってなんぼ」だと、

私は強く感じています。

それでも現実には、ルールを守れない人が一定数いるのも事実です。

例えば…
就労移行支援にて…
  • 決まった作業手順を無視する
  • 時間を守らなかったりする
自分の場合…

どんなに単純で細かいルールでも

「一度決められたことなら守るべき」という意識が

自然と身についています。

  • 製品を袋詰めするときの折り返し方
  • 書類のファイル位置
  • 入力フォーマットの順番 など

細かいことでも「こうしてください」と言われれば、

次からは必ずその通りにやるように心がけています。

それは「怒られたくないから」とか

「褒められたいから」というよりも、

単純にそのほうが自分自身も安心できるし、

周囲からも信頼される気がするからです。


規則や手順に沿って動くことは、

私にとっては「安心材料」であり、「強み」でもあります。

変にアレンジしたり、

効率を優先しすぎて逆に混乱したりするより、

決められたとおりに忠実に実行するほうが、

ミスも減って結果的に早く終わると感じることも多いです。

「ルールを守る」という、ごくシンプルな行動が、

自分の働き方や信頼形成に繋がっていることを、

日々の仕事の中で実感しています。

手順を守りつつ、自分なりに工夫できる

ルールに則りつつも、

自分なりに最適化できる余地がある場面では、

それを活かすことができます。

実例 〜 就労移行支援にて

作業に使用する道具類(ハサミ・袋、ラベルなど)の

机上での配置は、基本的に各個人に委ねられていました。

当然「このハサミはここに戻してください」など、

一部は共通のルールとして決まっているものもありました。


多くの利用者さんは職員さんから渡された手順書に従い、

その通りのレイアウトで作業を進めていました。

でも、私は手順通りに配置すると、あることに気づいたのです。

そら
そら

手順通りだと、

製品を箱に入れる時に(自分の)身体への負担が大きいな…

そうだ、別の場所に移そう。

そう考えた私は、手順の通りに並べるのではなく、

自分にとって身体への負担が少ない位置へ

一部の道具を移動させることにしました。

具体的には…
  • 箱を置く位置 → より机に近く
  • 袋詰め用の道具 → 左手側に など

ここなら負担が軽い。

職員さんに相談してOKでるか確認しよう。

そう思った私は、職員さんに相談してみました。

それはいいね。

体を壊してまで無理する必要はないよ。

快くOKをもらえました。

それ以来、利用終了までずっとその配置で作業を続けました。

他の方が真似することはありませんでしたが、

それは「自分の身体ややりやすさに合わせた独自の工夫」だったからこそです。

思い返してみても、

誰かに「どうしてそうしてるの?」と聞かれることもありませんでした。


私は「自分のスタイルを持つ」強さがあると思っています。

与えられたルールを守るのは大前提です。

けれど、その中で

「どうすればもっとやりやすくなるか」「負担が減るか」と考え、

柔軟に調整していく力もまた、大切なことだと思うのです。

特にASDの私にとっては、

作業の流れや体の動きに無理があると、

それだけで集中が切れたり、疲労が倍増したりすることがあります。

だからこそ、事前にそれを予測し、

「自分に合うやり方」を見つけておくのは、

安心して取り組むための重要な準備なのです。

はっきりとした声

これは、実は幼い頃から周囲の大人たちに言われていたことです。

挨拶が、聞いてて気持ちいいね

ある日、事業所の職員さんにもそう言われて、

ふと、小学生の頃のことを思い出しました。

小学生の頃…

当時の自分は、なぜか「声だけ」は大きかったんです。

普段は大人しくても、朝の挨拶や返事、

発表の場になると自然と大きな声が出ていました。


特に思い出深いのが、小学校の運動会です。

私は応援団に選ばれて、

マイクなしで全体に声を届ける役を任されました。

「○○組、がんばるぞー!」と全力で叫んだ声に、

校庭が一瞬しん…と静まり返り、

そのあとドッと盛り上がった光景はいまでも忘れられません。


もちろん、昔は「声が大きすぎてうるさい」と言われたこともあります。

でもその経験があったからこそ、今はTPOに応じて

声のボリューム・トーンを無理なく調整できるようになりました


「伝える力」は声の大きさだけではありませんが、

聞く人が気持ちよく感じる「声かけ」や「挨拶」が自然にできるのは、

自分のひとつの強みだと思っています。

ASD特性のある自分にとって、

「表情」や「感情表現」は苦手な分、

声や言葉に意識を向けて工夫してきたのかもしれません。

だからこそ、挨拶ひとつで相手の印象に残れるのは、

自分の中で自信につながっています。

☆ PCでの作業

以前からパソコンにはそれなりに触れてはいました。

とはいえ、義務教育や高等教育で学んだのは、

ほんの「必要最低限」の操作程度。

ごく一般的なことしかできませんでした。

  • タイピング
  • 簡単な文書作成
  • ネット検索 など

でも、利用していた就労移行支援事業所で

久しぶりにパソコン作業に本格的に取り組んでみたところ…

まさかの「ハマり」が訪れたのです。

エピソード
Wordでの文書作成

正確にタイピングするという単純な作業が、

逆に自分にとっては良い「箸休め」のようなものでした。

  • 文章を整える
  • レイアウトを整える

自分の「こだわり」「美的感覚」を活かせるのが

楽しかったのだと思います。

さらに驚いたのは、Excel

正直、使うのは約10年ぶりでした。

最初は「あれ?関数ってどうやるんだっけ?」から、

思い出す過程すら面白くて、

気がつけばあっという間に時間が経っていました。

  • この数値、どう計算したら早いかな?
  • この表、もっと見やすくできるかも

そんなふうに考えているうちに、自然と夢中になっていたんです。

まさに「悩んでる時間すら楽しい」という感覚です。

困ったことがあっても「どう乗り越えよう?」と

前向きに考えることができていました。


「自分はこういう『思考しながら手を動かす作業』が好きなんだな」と気づきました。

  • どんな時でも楽しく
  • 夢中で
  • 時間を忘れて没頭できること

それは、きっと自分にとって

「向いていること」「仕事にしても苦にならないこと」なんだと思います。

そして、これまでの経験を活かして、

今では「もっとこうしたら使いやすくなるのでは?」といった

提案までできるようになってきました。

「得意」がわかる瞬間は、案外こんなふうに、

ふとした再会や体験の中に隠れているのかもしれません。

単純な作業

「〇〇してるだけ」の作業は、自分にとって得意な範囲です。

例えば…
  • PCでの入力「だけ」を黙々とこなす作業
  • 部品を一つずつ組み立てる「だけ」の作業

そういった、決められた手順を繰り返す作業は、

むしろ集中しやすく、安心して取り組むことができます。


特に、「やることが明確で、途中でイレギュラーが発生しにくい作業」は、

自分の特性と相性が良いと感じます。

決められた手順を一つずつ守っていくこと、

言い換えれば「シンプルな規則に従うこと」が、得意分野なのです。

今の職場では…

上司の方が事前に、

その日のお仕事を30分単位で細かく決めてくださっています。

例えば、こんな感じです
  • 8:30 〜 9:00 – 仕分け作業
  • 9:00 〜 9:30 – シュレッダー作業
  • 9:30 〜 11:00 – 分析業務
    • 30分ごとに、休憩をする

このようにあらかじめ細かく区切って予定を立ててくださるおかげで、

先の見通しが立ちやすく、

安心感を持って一日を過ごすことができます。


ASDの特性上、急な変更や曖昧な指示は混乱のもとになります。

ですが、予定が明確に「見える化」されていることで、

無駄な不安や焦りを感じず、今やるべきことに集中できています。

本当にありがたい限りですし、

「こうして配慮してくださっているからこそ、今の自分が安定して働けているんだ」と

日々感謝しています。

もしかすると、この「細かく決まっている状態」こそが、

自分にとっての「働きやすさ」の鍵なのかもしれません。

苦手でも、乗り切れる力がある

これは、就労移行支援事業所の職員さんから聞いたことです。

作業でわからないことがあっても、

それを職員に伝えて、自分なりに考え、調整して、対策できる。

その姿勢がある人は、どこに行ってもきっと大丈夫だよ。

これは、社会で働いている今も変わりません。

わからないことがあった時…

➡️ すぐに質問できる
  (黙って抱え込まない)

➡️ その質問によって新しい視点が得られる

➡️ 自分の中で「じゃあこうすればいいかも」と考えが展開される

➡️ 自分なりに対策を立てて動いていく

この一連の流れが、今では自然とできるようになっています。


もちろんこれは、

単純に「質問する力」があるというだけではありません。

質問することへの心理的ハードルが低い

「安心できる環境」が整っていたことも、大きな要因です。

事業所での経験を通して学んだのは、

「待っているだけでは状況は変わらない」ということです。

自分から能動的に動くことで、

物事がスムーズに進み、

結果的に自分の負担も軽くなります。

「指示待ち人間」とは異なり、

受け身ではなく、必要な時に自ら動くことができる。

そういった積み重ねが、

結果として「社内での『自立』」につながっていると感じます。

今も完璧ではありません。

当然、生きている間はそうです。

混乱することも、迷うこともあります。

それでも

  • 助けを求められる
  • 調整できる
  • 改善を試みる

この姿勢がある限り、

自分は社会の中で着実に前進できているのではないかと思います。

もしかすると、

いわゆる「普通」に少し近づいているのかもしれません。

けれど私は、「普通」を目指すというより、

「自分のやり方でうまくやっていける」という感覚を

大事にしていきたいと思っています。

自分の弱み

☆ 長時間同じ仕事をする

同じ作業を数時間続けるだけで、

正直なところ苦痛を感じます。

自分はASD(自閉スペクトラム症)の診断を受けていますが、

時にADHD(注意欠如多動症)の傾向が見られることもあります。

発達障害は単一ではなく、

複数が併発するケースも珍しくありません。

自分もそのひとりです。

最たる例

1日中立ちっぱなし、あるいは座りっぱなしという状況は、

想像以上に身体的にも精神的にもこたえます。

実際、腰にヘルニアも抱えているため、

長時間の同姿勢はダイレクトに負担として現れます。
(ここ数年が、症状が落ち着いています)


そういった事情から、

仕事でも私生活でも「小まめな休息」が欠かせません。

ブログの更新も…

実は1記事書き上げるまでに複数回の休憩を挟んでいます。

文章を書くという行為そのものは、

好きなこと・興味のあることのはずなのに、

いざ向き合うととても体力を使います。

タイピングそのものは大好きです。

キーを打つリズムには集中のスイッチが入る感じがして、

自分に合っていると感じています。

けれども、肝心の「文章を考える」「構成を練る」という部分には、

どうしても時間がかかってしまいます。そしてそれが、

今の自分にとっては重くのしかかる作業でもあります。

現在は内容にもよりますが、1〜2時間かけて1記事を執筆しています。

でも、その「最大2時間」がどうにも苦しく感じるのです。

  • 集中力が途中で切れる
  • 途中で姿勢を変えたくなる
  • 「一旦立って歩こうかな」と思う など

そうした感覚が頻繁に出てくるのは、

ADHDの特性か、はたまたヘルニアの影響か、

それとも両方かもしれません。


いずれにせよ、今の自分にとっては

「長く同じ作業を続けること」がいちばんの壁になっています。

苦手な部分を把握して、やり方を工夫する

これはASD・ADHD当事者に限らず、

多くの人にとって大事な考え方かもしれません。

自分に合ったやり方を見つけることで、

少しでも「苦手」が「できるかも」に変わっていく——

そんな希望を感じています。


☆ 疲れを忘れてしまう

気がつけば、いつの間にか疲労を忘れて没頭してしまっている

そんなことが、これまでに何度もありました。

  • 好きなことだから
  • やりがいがあるから

そういった理由ではありません。

単純に、意識が一つの作業に強く向かいすぎてしまうのです。

原因は、間違いなく「過集中」です。

実例 〜 就労移行支援事業所にて…
利用し始めた最初の週…

張り切りすぎてしまい、

数日で疲労が限界を迎えて休む羽目になりました。

「やる気がある」ということは決して悪いことではないのに、

それが裏目に出てしまった典型的なパターンです。

作業に関して…

作業そのものが楽しくて、

「もう少し」「もうちょっとで終わる…」と続けていたら、

終わったときに、身体がまったく動かなくなっていたこともあります。

正直、自分でも驚きました。

「楽しい」が「無理してた」に変わるまで、本当に一瞬です。



「疲労を数値化して見える化すればいいのでは?」と考えたこともあります。

例えば…
  • 作業時間をタイマーで管理する
  • 「集中した時間」に応じて休憩を入れる など

➡️「主観に頼らずに自分をコントロールできる」のでは?

しかし主治医から、このように指摘されました。

疲れているか、否か、

判断できる人はいないですよ

なるほど、と思いました。

それと同時に、こう考えました。

もしかすると『普通の人の感覚』に

たどり着くのは難しいのかもしれないな…

以前の自分なら「できない自分」を責めていたかもしれません。

でも今は、少しずつ考え方が変わってきました。

  • できないなら、できない前提でやり方を変える
  • 疲れる前に、止める練習をする
  • 気づけないことを前提に、まわりの人に声をかけてもらう

そういった「小さな工夫」を積み重ねることで、

自分の生活や働き方を守っていけると信じています。

そして、過集中も「自分の特性のひとつ」だと受け入れながら、

付き合い方を模索する。

そんなふうに考えるようになったのです。

☆ 暗黙のルールが分からない

明文化されていないルールは、正直なところ分かりません。

「空気を読んで行動する」「察して動く」といった文化に対して、

ずっと違和感を持って生きてきました。

自分としては…

ルール・やり方はハッキリ言ってもらったほうが助かります。

「何をすればいいのか」「どう動けば正解なのか」が見えない状態では、

不安と混乱で、頭がいっぱいになってしまうからです。

もちろん、自分なりに「なんとか理解しよう」と努力はしています。

  • 周囲の動きを見て真似する
  • メモを取って反復する など

でも、それでもやっぱり腑に落ちないことが多いのです。

例えば…

「なんとなくみんなそうしているから」

そういう理由だけでやるべきとされる行動。

説明を受けても、理屈として理解はできても、

心から納得できないと身体が動かないことがあります。


ASDの特性上「納得していないことをそのまま受け入れて行動する」ことが

とても難しいのです。

こんな悪循環が起きるのです。

納得できない
➡️ 不安・違和感が湧いてくる
➡️ うまくいかない
➡️ そんな自分にまた落ち込んでしまう…

とはいえ、社会の中には「言葉にならないルール」が

たくさんあることも理解しています。

すべてが明文化されているわけではないし、

説明を求めても「それくらい察して」と返されることもあります。

そういうとき、自分はどうすればいいのかを、

いまだに模索しています。

完璧にわかり合えるとは思っていません。

でも、お互いが少し歩み寄れば、共に働ける環境はきっと作れる。

そう信じて、今日も試行錯誤を重ねています。

基本を応用した事

これは高校数学、特に当時のセンター試験に当てはまりました。
(現在の大学入学共通テスト)

詳細に言うと…
  • 三角関数
  • 微分積分
  • ベクトル など

それぞれの公式や概念は一つひとつ丁寧に学べば理解できます。

問題を解く際も、公式を単体で使う場面では何の問題もありませんでした。

けれど、それらを複数組み合わせる問題になると、

突然思考が止まってしまう。

混乱し、途中で手が止まり、時間切れ。

結果として、全く点数を稼げませんでした。


自分は、物事を理解する時に「全体の構造」が見えないと、

急に不安定になるのです。

一度すべて説明され、順を追って腑に落ちないと応用が効きません。

見通しが立たないと、どうしても頭が整理されない。

ASDの特性による「一つずつ丁寧に」「全体像を明示してほしい」という感覚

強く出ていたのだと思います。

これは、今の仕事や生活にも通じています。

例えば…

基本的な業務内容を一つひとつ学ぶ時は問題ありません。

でも、それらが複数同時に動き出した途端、混乱が始まります。

頭の中で整理しきれず、動けなくなってしまうのです。


このことから自分は、

一度に複数のことをこなすよりも、ひとつの仕事にじっくり取り組む方が向いている

そう実感しています。

「一つの仕事を極めよ」というのは、

まるで自分へのお告げのようです。

  • 得意なことを徹底的に深掘りする
  • 同じ作業を繰り返すことで精度を高める

そういったスタイルが自分に合っているのだと感じています。

社会には「マルチタスクができる人」が評価されがちですが、

シングルタスクに集中して成果を出す人間も必要です。

自分の特性を理解し、それを武器にする生き方を模索することが、

長い目で見て一番の近道になるのだと思います。

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