「ASDなそら」管理人のそらです。
ASD(自閉スペクトラム症)当事者の視点で、
仕事や生活に役立つ情報を発信しています!
最近、「障害者雇用」という文字を目にしたときに、
ふと立ち止まって考えてしまいました。

普段「障害」って書くけど、
「障碍」って文字もあるよな…
「障がい」という表現もよく見るし…
何か違うのだろうか?
以前から、漢字を見ては「どんな意味の違いがあるんだろう?」
そう疑問に思っていた私です。

ASD(自閉スペクトラム症)当事者として
「自分がどう表現されているか」に対して、敏感になる瞬間があります。
なんとなく気になっていたこの違いについて、
今回は深掘りしてみようと思います。
「障害」と「障碍」:そもそも何が違うのか?
まずは用語としてよく使われるこの2つの漢字表現。
- 障害(しょうがい)
- 障碍(しょうがい)
どちらも読み方は同じですが、使われ方は違います。
「障害」はニュースでも福祉の現場でも法律でも、
圧倒的に多く使われている表記です。一方で「障碍」という言葉は、
日常生活で見かける機会はほとんどありません。

それぞれの語源や背景を調べてみたところ、
京都光華女子大学の福祉系学科のサイトに、
次のような記述がありました。
「障害」という言葉は江戸時代末期から使われ始め、
「障碍」はもともと仏教用語。
平安時代末期以降には「悪魔や怨霊が妨げること」という意味でも
使われるようになった。
つまり、歴史的に見ると「障碍」の方が古く、
宗教的な背景もある言葉だったんですね。

さらに、明治時代には「しょうがい」と読む言葉を、
「障碍」「障害」と使い分けていた時代もありました。
ですが、大正時代から「障害」の表記が一般的になり、
戦後は法令や行政文書でも「障害」に統一された、という経緯があるようです。
このように「障害」は、
読みやすさ・理解のしやすさという理由で
選ばれてきた言葉だったのです。
「害」って、なんか引っかかりませんか?
「障害者」と書かれたときに感じる、ほんの少しの違和感。

「害」って、「害虫」とか「公害」などの
ネガティブな言葉にも使われていますよね。
実際、漢字辞典で調べると、次のように書かれています。
【害】そこなう・傷つける・邪魔をする・さまたげる・わざわい・災難
「そこなう」「傷つける」
人に対して使うと、まるでその人の存在自体が
「害」であるかのような印象を受けませんか?
もちろん、制度や福祉の文脈ではそのような意図はないはずです。
しかし、言葉は「見た目」や「響き」が持つ印象も、
私たちの心に静かに影響してくるものです。

特にASD当事者にとって、
言葉のニュアンスや暗黙のメッセージは
とても敏感に感じ取ってしまう部分かもしれません。
「碍」の意味はどうか?比べてみた
では「碍」はどうでしょうか?
辞書を引いてみると、
次のように説明されています。
【碍】さえぎる・さまたげる・邪魔をする
「害」との共通点もありますが、
「傷つける」「わざわい」といった意味は含まれていません。つまり、
「物理的・精神的な邪魔」「何かをブロックするもの」というニュアンスが強いようです。
もっと詳しく見ていくと、違いがより明確になります。
漢字 | 共通する意味 | 異なる意味 | 常用漢字? |
---|---|---|---|
害 | 邪魔する・妨げる | 傷つける・災難・ 害する | ○ |
碍 | 邪魔する・さえぎる | 進行を遮る (ブロックする) | × |
- 障害 = あなたの存在が悪い
- 「君がいると困る」「できない人扱い」
- 障碍 = 環境があなたを邪魔している
- 「あなたの力が発揮されにくいだけ」「社会側が整備すべき」
「障碍者」という言葉の響きに感じること
私は個人的に「障碍者」という表記の方がしっくりくると感じています。
「障害者」という言葉にはどうしても
「加害性」や「ネガティブな印象」が含まれているように思えるからです。
私はASDとして、特定の刺激に過敏だったり、
こだわりが強かったり、同時に複数の情報を処理するのが
難しいことがあります。
でも、それは「他人を傷つける存在」ではありません。
ただ「自分が快適に過ごせるように動いている」だけなんです。
- ガタガタと貧乏ゆすりのように、脚を動かしてしまう
- 緊張を和らげるため
- 突然の予定変更に、パニックを起こす
- 安心できる予測が崩れるため
- 感覚過敏で、特定の音がつらい
- 無意識の防御反応
- 感情の爆発
- 脳がオーバーフローしている状態
これらは自分の中では「自然なこと」なんです。
- 「自分は他人に迷惑をかけている」
- 「存在が悪いものとして見られている」
そんな気持ちになってしまう。とても悲しいことです。
「害」の代わりに「碍」を:表記を見直す動きも
実は、一部の自治体や団体では、
「障害」ではなく「障がい」や「障碍」という表記を使う動きもあります。
- 「障がい」
- ひらがなで柔らかくする(東京都三鷹市)
- 「障碍」→ 本来の語源に近い表現
文部科学省も、過去に一部資料で「障がい」を用いたことがあります。
詳しくはこちらから
ただし、行政文書や法律文書では今も「障害」が正式表記のままです。
つまり「言葉の印象」に配慮しようという流れは確実に存在しています。
とはいえ、統一表記が必要な場面では、
まだ「障害」にとどまっているのが現実です。

表記が変われば、意識も変わる
言葉は時代とともに変化します。
以前は当たり前だった言葉も、
今では差別的とされるものがたくさんあります。
「障碍者」と書くことで、
私たちはこう問いかけることができるのではないでしょうか。
この人の生きづらさは、
本人のせいではなく、
周囲の社会や制度による『妨げ』ではないか?
そう考えると「障碍者」という表記は、
当事者に寄り添った視点を持つ言葉のように感じられます。
最後に:あなたはどう感じますか?
ここまで読んでくださったあなたに、問いかけたいことがあります。
あなたは「障害」「障がい」「障碍」のどれがしっくりきますか?
正解はありません。でも、それぞれの言葉の背景や意味を知った上で、
どの表記を使うかを自分の言葉で選べるようになることは、
とても大事だと思います。
私自身「障碍者」という表記をこれからも意識して使っていきたいと思っています。
言葉は、ただの記号ではなく「人の気持ち」に関わるものです。
そして、社会全体が「害を持つ人」ではなく、
「妨げられている人」として見てくれる未来が来ることを、私は願っています。
📌 あなたの考えも、ぜひコメントで聞かせてください。
あなたにとって「しっくりくる言葉」は、どれですか?
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